長年所有していた楽器
先日吹奏楽コンクール関西大会に行ったことを書きましたが、
今年に入り私は長年所有していた楽器を手放しました。
- B♭クラリネット(Buffet Crampon Festival)
- バセットホルン(Buffet Crampon Prestige)
の二つです。
B♭クラリネット

初めて購入したのは大学生の時で、モデルは Buffet Crampon E-11 だったと思います。
いわゆる学生モデルだったので、クラリネット歴が長くなるにつれて物足りなさを感じるようになり、その後今回手放した Festival に買い替えました。
様々な演奏会を共にした思い出深いクラリネットです。
バセットホルン

モーツァルトが愛した楽器としても有名ですが、私はそのモーツァルトのレクイエムにおいてバセットホルンの音色に魅せられてしまいました。
楽器はただでさえ高いのによりにもよってバセットホルンというあまり一般的ではない楽器ですから、なかなかのお値段でした。
当時は何を思ったか楽器屋さんを探し回り、ついに購入してしまったのでした…。

思い切り過ぎですね(笑)
それでもこの楽器で、アルトクラリネットの譜面を書き換えてアンサンブルに参加したり、クラリネットオーケストラの演奏に参加することもできました。
また、かつて所属していた楽団では指揮者の先生が譜面を一から作ってくれるのですが、バセットホルン用の譜面を書いてもらい、あのドヴォルザークの『新世界より』を演奏する機会にも恵まれました。
手放そうと思った理由
こうして様々な演奏の機会を得て楽しく楽器と過ごしていた私ですが、ついにお別れの時を迎えました。
今後楽団に入ることはないと思った
楽団の活動はとても楽しいです。しかしどうしても多くの時間を割かなければなりません。
社会人になり、家庭を持ってからも楽団に所属していましたが、どうしても家族との時間を楽団の活動に充てなければならない場面が多くありました。
また私は器用ではないので、相当に練習しないと自分が満足できる状態まで持っていくことができません。
楽団の練習日以外にもプライベートで練習時間を作る必要がどうしてもありました。
特に二つ目に所属していた楽団は地域貢献がすさまじく、月によってはすべての日曜日が練習や演奏会で埋まってしまうということも普通にありました。
もちろん演奏を喜んでくれることはとても嬉しく、活動も楽しかったことは事実です。
しかし引越しをして新たな場所(仙台)へ移った際に、楽団への所属は見送ることにしました。
そして今後もう楽団に所属する生活はできないな…と思ったのでした。



結果的に東北中を旅行して回ることができてよかったです!
可能性の中に生きていたくなかった
なんだか哲学的な言い回しですが、これが手放した最も大きな理由です。
楽団へ所属することは諦めた私でしたが、相変わらず楽器は所有し続けていました。
吹く機会のない楽器を持ち続けていた最大の理由は、「いつか吹くかも」という考えでした。
楽団には入らないけど、個人で練習することはできる。
さらに練習して、もっと上手になれるかもしれない…。
その考えをずーっと持ち続けてしまっていました。
でも吹く機会はありませんでした。
よく言われることですが、「いつか」は来ないものです。
本当にもっとうまくなって吹き続けたいのであれば、「いつか」じゃなくてさっさと練習できる場所を探して行動していたはずです。



今ならわかるんですけどね…
「さらなる高みを目指せるかも…」と思って、スタジオやレッスン室、カラオケなど吹けそうな場所を探したり、防音室を調べたり、とにかく準備段階にばかり時間を使っていました。
吹きたいならケースから取り出してとにかく吹けばいい
ただその一言ですよね。
それをやらない時点で答えは決まっていたわけです。今後吹かない、と。
でも楽器を手放すことで「より高みを目指せる」という可能性を捨てたくなかったんです。
そうなってくるとだんだん楽器の存在が辛いものになっていきました…。
吹かない年数ばかりが積み重なり、技術は衰えていく一方です。
なのに「高みを目指せる」という可能性だけを抱えている状態です。
今の自分と乖離した、ただの妄想を日々膨らませているだけ。
40代半ばになろうかという時、ふと「あ、手放そう」と思いました。
可能性の中に生きることの無意味さを自然と悟った瞬間でした。
無理に手放さなくてもいい
人によっては吹かなくても記念として、思い出として手元に置いておきたいと思う人もいると思います。
何が何でも手放さなければならないということはありません。
ただ私の場合は、まだまだ十分に使える楽器たちを誰かに吹いてほしいと思いました。
楽器に限らず今はもうやらない物事に対して区切りをつけなければならない際に、自分が一番納得できる形をとことん探して実行すると後悔しなくて済みます。
私はあのまま「いつかいつか…」と思いながら、実際にはそんな日が来ないことをわかっているのに楽器を所有し続ける日々を終えることができて本当によかったと思っています。
楽器を手放す具体的方法
- 売る
- 学校や楽団などに寄付する
- 親族や友人にあげる
などの方法が考えられますが、私は今回「売る」ことを選びました。
具体的手順は、
- できるだけ多くの楽器店から見積もりを取る
- 金額や条件を比較して売却先を選ぶ
という形です。
今はネット上で売りたい人向けのフォーマットを用意している楽器店が多くあります。
そうしたフォーマットがない場合でも、お問い合わせを利用することができます。
ポイントは、
- 楽器のことに詳しい専門店を選ぶ
- できるだけ多くの楽器店に打診する
- 郵送できる場所だと便利(梱包材付ならさらに〇)
といったところです。
楽器に詳しいスタッフがいないと、楽器の価値を正しく見極めてくれません。
また楽器店によって仕入れたいと思っている楽器の種類が異なるので、同じ楽器でも金額に結構な差が生じることがあります。
金額が高いに越したことはありませんが、それ以上に「楽器が適当に扱われない」場所を選びたいところです。
楽器をちゃんと扱ってくれる場所であれば相場からかけ離れた低い金額を提示してくることはないですし、査定額についても細かく説明をしてくれます。
何より次の人へ良い状態で確実につなげられる可能性が高くなります。
またすぐに行ける場所に楽器店がある場合はいいですが、そうではない場合郵送買取を受け付けてくれる場所がいいですね。
手放した後
さんざん考えて、納得の上に楽器を手放したわけですが、少しの間吹奏楽やクラリネットアンサンブルなどの楽曲を聴くことを控えていました。
演奏を聴いて「やっぱり吹きたい!!」と思ってしまう可能性を考えたからです。
少し間をおいて手元の音源を聴いてみたところ、全くそんな風には思いませんでした。
むしろ手放したことにより、一聴衆として純粋に音楽を楽しむことができました。
やっぱりとことん考えたうえで決断したのがよかったみたいです。
今となっては長年クラリネットを演奏してきたことが過去の誇らしい思い出となりました。
自分比ではあっても確実に上達できたな~と俯瞰して考えられるようになり、すっきりした気持ちになることができました。



可能性という名の妄想から脱出成功です!
まとめ-可能性を手放す
楽器とのお別れについて書きました。
先ほど書いた「可能性の中に生きていたくない」ということですが、私はこの考えをあの有名な本で知りました。
誰もが知っている『嫌われる勇気』です。
その一節をちょっと書いてみます。「哲人」の言葉です。
わたしの若い友人に、小説家になることを夢見ながら、なかなか作品を書き上げられない人がいます。彼によると、仕事が忙しくて小説を書く時間もままならない、だから書き上げられないし、賞の応募に至らないのだそうです。しかし、はたしてそうでしょうか。実際のところは、応募しないことによって「やればできる」という可能性を残しておきたいのです。(中略)時間さえあればできる、環境さえ整えば書ける、自分にはその才能があるのだ、という可能性のなかに生きていたいのです。
『嫌われる勇気』岸見一郎・古賀史健/著 ダイヤモンド社 p.55
これを初めて読んだ時、特大の金づちで殴られたかのように思いました(笑)。
いや~ほんとに…身に覚えがありすぎて天を仰いでしまったほどです。
ただ当時はまだ今よりも若かったため、衝撃を受けながらもそれは長続きしませんでした。
40代になり、身近な人々を送る機会を経て、「可能性の中に生きている場合じゃない」ことが強く実感されるようになったことが、今回の行動につながりました。
楽器を手放した行為はこれから身軽に生きていくための第一歩だと思っています。



たくさんの思い出をありがとう!
以上で終わります。


